ログイン
ユーザ名:

パスワード:



パスワード紛失

新規登録

早稲田大学発!革新的学習システム 【超速中国語】 まずは → 無料体験すぐ出来ます:

トップ  >  中国人物  >  王昭君(古代中国四大美人の一人,出塞の美女)
王昭君 四大美人 昭君出塞 匈奴 元帝 毛延寿 西京雑記
王 昭君(おう しょうくん、紀元前1世紀ごろ)は、匈奴の呼韓邪単于、復株累若鞮単于の時代の閼氏(単于の妻)。姓を王、諱を嬙とも(出典は、班固『漢書』)。字を、昭君。日本では通常、王昭君と呼ばれるが、地元(フフホトの方)では”昭君”と呼ばれている。荊州南郡(現在の湖北省沙市)出身で、楊貴妃・西施・貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えられる。中国の古代歴史上に、中原の漢民族が中央政権を持っていて、周辺の少数民族の地方政権とよく紛争が起きた。戦争が常にそれを解決する方法として生まれ、それに皇帝も女性の嫁入り(政略結婚)を通じて紛争を解消し、平和を保つという。王昭君の物語もそういう物語である。
王昭君出塞
王昭君出塞


[生涯]
西陵峡の入口に注ぎ込む香渓という支流があります。王昭君はこの付近で生まれました。彼女は少女の頃から絶世の美人で、ある日香渓で水遊びをしていて、誤って真珠を一つ川に取り落としました。それから川の水が澄み、よい香がするようになったので、この川を香渓と呼ぶようになったそうです。 王昭君は漢の元帝(在位48-33B.C.)の後宮に入りました。
前漢の元帝の時代、匈奴の呼韓邪単于が、漢の女性を閼氏(匈奴の言葉で君主の妻)にしたいと、元帝に依頼したところ(逆に漢王朝が持ちかけたという説もある)王昭君が選ばれ(「昭君出塞」と言われる)、以後呼韓邪単于の閼氏として一男を儲けた。しかしその後、呼韓邪単于が死亡したため、当時の匈奴の習慣(遊牧民に多く見られるレヴィレート婚)に習い、義理の息子に当たる復株累若鞮単于の妻になって二女を儲けた。
漢族は父の妻妾を息子が娶ることを実母との近親相姦に匹敵する不道徳と見なす道徳文化を持つため、このことが王昭君の悲劇とされ、民間伝承となった。
王昭君画像(徳珍の《汉装潋滟》より)
王昭君画像(徳珍の《汉装潋滟》より)


[伝説]
『西京雑記』によると、元帝は匈奴へ贈る女性として後宮の中の一番醜い女性を選ぶため、宮女の似顔絵帳の中の一番醜い女性を選ぶことにした。似顔絵師であった毛延寿に賄賂を贈らなかった王昭君は一番醜く描かれていたため、王昭君が匈奴への嫁として選ばれた。皇帝に別れを告げるための式で王昭君を初めて見た元帝は王昭君の美しさに目を奪われたが、匈奴との関係悪化を恐れ、この段階になって撤回することも出来ないため渋々送り出した。その後、画工の不正に気付いて激怒した元帝は毛延寿の首を刎ねた。その後、呼韓邪単于が亡くなり、匈奴の習慣に習い息子の復株累若鞮単于の妻になった。そのとき、王昭君は、反発したが漢王朝から命令されしぶしぶ妻になったと記述がある。
しかし、これには疑問が多い。匈奴は当時の漢にとって最も重要な外交相手であり、その相手に対して敢えて醜い女を渡すといった無礼をするとは考えにくい。これらの話は五胡十六国時代・南北朝時代に鮮卑に支配されていた漢族たちが自分たちの境遇を託したものではないかと考えられる。
これらの話は後漢代の『西京雑記』に載せられたのを初めとして(画工への賄賂の話はこれが初め)、晋代の『王明君辞』、元の馬致遠の雑劇『漢宮秋』などに作品化された。
王昭君の墓は、現在の内モンゴル自治区のフフホト市にあり、陵墓の周囲には王昭君の郷里の家を再現した建物や庭園が整備され、また敷地内には匈奴博物館などがあり、観光スポットとして人気が高い。

「編集:中国情報所 情報元: ウィキペディア(ja.wikipedia.org)」

プリンタ用画面
友達に伝える
投票数:138 平均点:5.58
前
貂蝉(古代中国四大美人の一人,三国志の美女)
カテゴリートップ
中国人物

コメント一覧


Copyright© 2009-2015 Chinfor Studio. 株式会社東京エス・ティ・エス All Rights Reserved. 利用規約. 日本語ドメイン:中国情報所.com