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蘇州市 江蘇省 苏州市 蘇州園林 陽澄湖 碧螺春 蘇州絲綢 拙政園 留園 獅子林 滄浪亭 周荘
蘇州市(そしゅうし、中国語:苏州市「sūzhōushì」)は中華人民共和国江蘇省東南部に位置する地級市。古くから絹織物で発展した国家歴史文化名城であり、上海市に隣接する地の利があり、現在も省の経済的中心である。蘇州で話されている蘇州語(蘇州方言)は、北部呉語を代表する方言と考えられていたが、現在は上海語にその座を譲っている。蘇州方言と上海方言とでは、異なる語彙や発音があるが、しばらく会話すれば意志の疎通に大きな支障はなくなる。
蘇州旧市街[d'n'c]
蘇州旧市街[d'n'c]

[気候]
蘇州は「亜熱帯モンスーン海洋性気候」属しています。年平均気温は15.7℃、年間最高気温は約38℃、最低気温はマイナス5℃度。夏の暑さは厳しく、7月から8月がピークになります。立秋後は次第に涼しくなり、9月に入れば旅行シーズン到来。蘇州、上海地域は中国の中でも有数の高温地帯で、暖かい南風が吹き込む関係もあり、日本の沖縄よりも暑いくらいです。冬は逆に気温が下がり、東京よりも寒さは厳しくなります。
[地理]
長江の南側にあり、長江デルタの中心部、太湖の東岸に位置する。東北側には、上海蟹の産地として名高い陽澄湖がある。北京から南京を経て、昆山、上海を結ぶ京滬線が通り、蘇州駅には特急が停車する。
蘇州市の位置(北緯31度19分0秒 東経120度36分0秒)
蘇州市の位置(北緯31度19分0秒 東経120度36分0秒)

上海を起点に蘇州市街を通って西に延びる312国道と、常熟市街を通る204国道が幹線道路としてある。また、上海から南京に向かう滬寧高速道路が通っている。滬寧高速道路は蘇州で常熟、嘉興を結ぶ南北の蘇嘉杭高速道路と交差しており、2008年ごろには常熟から長江を渡って南通に通じる橋ができる予定である。滬寧高速道路は交通量の増加によって渋滞が起きやすくなったため拡幅工事を進めているほか、常熟を通る沿江高速道路が常州までのバイパスとして建設された。
古来、北京と杭州を結ぶ京杭大運河が通るなど、水運もよく利用されている。北部の太倉、常熟、張家港の長江沿いの地域には、水運を生かせる大規模工場が作られている。運河による水運が生活に溶け込んでいることから、旧市街地及び周辺の水郷地帯を含めて、「東洋のヴェニス」と呼ばれるが、ヴェネツィアよりも歴史は古い。
環状の堀で囲まれた旧市街は新しいビルなどは少なく、昔からの住宅が立ち並び、世界遺産の園林などが点在している。これに対し新市街は近代的なビルや高層住宅などが立ち並んでいる。郊外は工場地帯が点在している。
[歴史]
古くから長江の南に位置する、江南の主要都市として栄えてきた。春秋時代に呉の都が置かれ、呉文化圏の中心であった。伝説によれば、諸樊がこの地を本拠と定め、諸樊の子孫の闔閭が呉の都として整備したと言われている。臥薪嘗胆、呉越同舟の舞台である。秦以後には会稽郡、後には同郡から分離した呉郡の役所が置かれた(同時に呉県の役所も設置された)。隋代に蘇州の名が始まったが、南朝最後の陳末の民衆反乱(589年)で町が破壊されて郡の役所なども他の町に移されており、本格的な再建は役所を蘇州に戻した唐の太宗時代以後のことになる。五代時期には呉越国の都となり、北宋の神宗時代に府(首都に准じる都市)への昇格に伴って平江府、元には平江路と呼ばれるようになった。この間、金の南宋遠征軍が平江府を攻撃して再度町は大規模な打撃を蒙った(1130年)が、南宋政府によって再建されている。元末の張士誠も呉王を称して蘇州に都した。明になると、蘇州府が置かれて以後は現在の蘇州という名称が固定化された。
街中を通る運河
街中を通る運河

古くから中国の先進的な絹織物産地として経済的富裕な町であったが、南宋時代に付近で木綿栽培が広まると綿織物の分野でも屈指の生産を図るようになる。だが、アヘン戦争後の上海開港にともなってその経済的地位をいくらか低下させた。
江蘇省の省都は現在南京に置かれているが、歴史的に清代には江蘇布政使が蘇州に駐在し、太平天国は蘇州を蘇福省の首府とした。南京に都した中国国民党時代には蘇州に江蘇都督行署を置き、日本軍占領期にも江蘇省会であった。
[経済]
上海から高速道路で1時間の距離にあり、上海の国際マーケットと国内マーケットをつなぐ要所である。シンガポールの協力で建設された蘇州工業園区を始め、蘇州高新技術開発区、昆山経済技術開発区、張家港保税区などの投資区域を有する。繊維製品、精密化学工業、製紙工業、電子工業、機械工業などの産業があり、2003年の国内生産総額は2,802億人民元、一人当たり国内生産は47,700人民元、輸出総額は326億米ドルに達する。経済規模は江蘇省最大で、省都南京をしのぐ。
蘇州の東北に位置する陽澄湖は、上海蟹の産地・養殖地として著名であり、淡水漁業も盛んである。
特産・名菜:ジャスミン茶、碧螺春 - 緑茶、蘇州絲綢 - 絹織物、蘇扇、枇杷、楊梅、蒓菜銀魚、松鼠桂魚、碧螺蝦仁
蘇州園林-留園
蘇州園林-留園

[交通]
鉄道 - 蘇州は上海-南京の大動脈上に位置しているため、上海駅 - 蘇州駅間は毎日約60往復の列車がある。そのうち約20往復は中国版新幹線CRHであり、所要31分-45分。それ以外の列車は所要45分-2時間16分。一部の列車は上海南駅発着となる。
バス - 上海から約1時間30分。上海浦東国際空港や上海虹橋国際空港からの直行バスもある。また、蘇州市内を路線バスがくまなく走っており、ほとんどすべての観光地を訪れることが可能。
航路 - 山口県下関市の上海下関フェリーが、下関港国際ターミナル - 江蘇省蘇州太倉港のフェリーを運航している。所要35時間30分 - 40時間。週2往復。
[観光]
蘇州古典園林の庭園の多くは明の時代に建設された。これらの多くは地元の名士により作られたもので、公共事業としてではなく、個人の趣味で置かれたもので、皇帝所有の庭園である皇家園林に対して私家園林という。庭園は豊かな水を利用し、池を配置した素朴な美しさを特徴とする。蘇州以外の江南の地にある名園(例えば上海の豫園)を含めた“江南私家園林”が総称として中国国内では一般的である。
蘇州園林-拙政園
蘇州園林-拙政園

蘇州古典園林のうち、拙政園と留園は中国四大名園の二つに数えられる。また、宋代の滄浪亭、元代の獅子林、明代の拙政園、清代の留園の4つに時代にそれぞれ作庭起源をもつ庭園を合わせて“蘇州四大園林”ともいう。
世界遺産に登録された庭園、拙政園、留園、網師園、環秀山荘、滄浪亭、獅子林、芸圃、耦園、退思園
蘇州園林-退思園
蘇州園林-退思園

拙政園-蘇州の数ある庭園の中でも最大で、留園とともに中国四大名園の一つに数えられている。明代の中央の高級官僚だった王献臣が造営したといわれる。40000㎡の広い敷地の半分以上を池や堀が占める。
留園-明代に創園された庭園であるが清代の1875年~1909年に改築されてから留園と呼ばれるようになった。総面積は約20000㎡で東園と中園、西園と北園の4つに主に分けられる。
獅子林-元代末期の庭園様式を伝える、1342年造営の古園。太湖石で埋め尽くされた迷路のように回廊がめぐっている。石が獅子の形に見えるということから、獅子林と呼ばれるようになった。
滄浪亭-蘇州で最も古い庭園で、唐の時代の末期、956年に造営され、11世紀に改築された。
蘇州園林-滄浪亭
蘇州園林-滄浪亭

その他の観光地:
盤門- 蘇州市街の南西部にある外城河に囲まれた蘇州城に唯一残る城門。創建されたのは紀元前514年だが、元代の1351年に改修されたものが現存している。龍脈の影響が弱く商売など適していないと思われていた。従って、周辺は余り発達しておらず、昔の状態がかなり完全に保存されている。
虎丘 - 春秋時代、呉の国王夫差が埋葬されたことに由来。北宋代、961年に建立された八角七層の虎丘塔(雲岩寺塔)は、現在少し傾いているためイタリアのピサの斜塔と比されることもある。全国重点文物保護単位となっている。また1940年代まで、風水で龍脈の源と考えられ、城市内に流れ込む運河の市内への門は、ショウ門とよばれ、その近辺から繁栄した。また、1940年まで北寺塔から南下する道は、臥龍街と呼ばれていた。
寒山寺 - 唐代に建立された名刹。唐代の詩人張継の「月落ち烏鳴いて霜天に満つ」で始まる漢詩「楓橋夜泊」に登場することで有名である。
周荘、甪直、同里 - 明代・清代の建築物も残る、古い水郷の街として人気がある。
平江路 - 2010年 第1回「中国歴史文化名街」の1つに選定される。
宝帯橋、双塔、玄妙観、北寺塔なども人気があります。

蘇州市旅行写真はこちら:中国旅行写真館-蘇州市旅行写真

「編集:中国情報所 情報元: ウィキペディア(ja.wikipedia.org)」

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