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大連市 遼寧省 三山 旅大 中山広場 友好広場 勝利広場 人民広場
大連市(だいれんし、中国語:大连市「dàliánshì」)は中華人民共和国遼寧省の南部に位置する地級市(地区クラスの市)。経済的重要性から省クラスの自主権をもつ副省級市にも指定されている。 遼寧省では省都の瀋陽市に次ぐ大都市である。大連は東北、華北、華東地域が世界各地と繋がる海上の門口であり、最も重要な港、貿易、工業、観光都市である。 大連市の最近の産業政策としては、2003年に「大連計画」を発表し、4つの基地(石油化学工業、造船工業、現代設備製造工業、電子産業基地)と1つの中心(航運中心=物流センター)になるように勤めていて、2004年には「旅順南路ソフトウェア産業地帯」を発表し、大連ソフトウェアパーク第2期などを進めている。また渤海に浮かぶ中国北部で最大の島といわれる長興島の開発も進めている。
中山広場[MR+G]
中山広場[MR+G]

[歴史]
魏晋の時代には三山と呼ばれ、唐代には三山浦、明清時代には三山海口、青泥洼口と称した。1880年代に清朝が大連湾北岸に砲台を築き、ようやく都市が形成され始めた。日清戦争後の1898年、三国干渉の代償として、清から関東州(大連、旅順など)を租借したロシアが、東清鉄道の終着駅を設け「ダーリニー」(Дальний; 「遠い」)と名づけた。旅順にある艦隊と要塞の物資をまとめるため、また貿易の拠点として、港の整備とパリをモデルにした都市づくりが始まった。
しかし、1904年に勃発した日露戦争により、同年5月末には日本軍が無血入城を果たし、戦後の1905年ポーツマス条約により日本に租借権が譲渡された。日本は古地図に見られる中国語の地名「大連湾」からとった「大連」を都市名として採用した。これはロシア名のダーリニーと発音が似ていることにもちなむ。
第2次世界大戦末期の1945年、日ソ中立条約破棄によりソビエト連邦軍が対日参戦。このときにソ連は大連を占拠した。同年9月に戦争終結後も、中ソ友好同盟条約に基づきソ連は大連港を旅順港や南満州鉄道と共に引き続き管理下においた。中華人民共和国に返還されるのは1951年のことである。1951年に旅順市を合併し、旅大と改称したが、1981年に元の大連に名前を戻している。 1990年代の改革開放経済のもと、中国東北部の中でも特に目覚しい経済的発展を遂げている。
[地理]
遼寧省中の大連市の位置(北緯39度02分秒 東経121度46分秒)
遼寧省中の大連市の位置(北緯39度02分秒 東経121度46分秒)

大連市はアジア大陸の東海岸に位置し、中国東北遼東半島の最南端にあり、東経120度58分から123度31分、北緯38度43分から40度10分に跨り、東は黄海、西は渤海、南は山東半島と海を隔てて向かい合い、北は広大な東北平野に隣り合っている。この緯度付近には、日本の仙台市、アメリカ合衆国のサンフランシスコ市、ワシントンD.C.、ギリシャのアテネ市がある。
大連市の総面積は12,574平方キロであり、うち旧市街区の面積は2,415平方キロである。山地や丘陵が多く、平野や低地が少なく、地形は北から南へ傾き、北は広く、南は狭くなっている。地勢は中央から南東と北西部にある黄海と渤海へ傾き、黄海への斜面は長く緩やかである。長白山のある千山山脈は旧市街区を貫いており、地形の殆どは山地や緩やかな低い丘陵であり、平野と低地は河川の水が海へ流れ込むところ及び山裾の谷地に点在するだけで、至るところでカルスト地形が目に付き、カルスト地形と海食地形が比較的に多い。
大連市行政区画[ASDFGHJ]
大連市行政区画[ASDFGHJ]

大連地区には主な水系として黄海と渤海の2つがある。碧流河、英那河、庄河、賛子河、大沙河、登沙河、清河、馬欄河などの大きな河川は黄海に流れ込み、渤海に注入する主な河川は復州河、李官村河、三十里堡河などである。そのうち、最も長い川は碧流河で、大連市街区の水源河となっている。また、200本余りの小さな河川もある。
[気候]
大連市は北半球の温暖地帯―ユーラシア大陸の東海岸にあり、気候は海洋性の特徴も兼ね備える暖温帯大陸性モンスーン気候に属し、冬は厳寒ではなく、夏は酷暑でもなく、四季がはっきりしている。年間平均気温は10.5℃、年間降水量は550~950mm、日照時間は2500~2800時間である。
[経済]
農業・漁業:
大連はもともとは農業・漁業が主体の土地であって、いまも農業ではトウモロコシ、野菜、リンゴ・サクランボ・モモなどの果物の栽培が盛んである。漁業は特に盛んで、現在は各種の海水魚の捕獲、コンブ・ワカメ・帆立貝・ウニなどの養殖が行われ、日本・韓国への輸出も多い。
重・軽工業、化学工業、流通業:
大連は日本統治時代から造船(大連汽船)、鉄道車両の製造(南満州鉄道の沙河口工場)などが存在したが、戦後、重・軽工業、化学工業も盛んになった。貿易港として発展した経緯から、流通業も盛んで、中国の主要流通業者の支店がある。
大連は中国第3の港湾都市で、大連港は中国東北地方の代表的な港で、中国最大の石油輸入港でもある。過去には世界銀行の援助も受けながら整備が進んできた。2003年の輸出総額95.3億米ドル、輸入総額77.7億米ドルであった。2005年北郊外の大孤山半島で最新港(おもに鉱石・石油の輸出入)の使用も始まっている。東北地方への鉄道の出発点である大連駅、大連国際空港、高速道路網と相まって、大連は巨大な流通センターとなっている。
大連経済技術開発区:
1978年に始まった改革開放政策の一環として、1984年に北郊外の金州区の東半分が「大連経済技術開発区」に指定されて、外国企業、特に日本企業(東芝、三菱電機、三洋電機、日本電産、キヤノン、マブチモーター、三島食品、マルニ木工など)、次いで韓国企業、欧米企業(ファイザーなど)の進出が著しい。これに連れて、在留邦人数も約4,000人前後を数える(2006年末)。また、2006年には、インテルが2010年上半期を完成目標に、中国で初めての大規模半導体工場を開発区に建設することが、発表されている。
大規模な新ショッピングセンター
大規模な新ショッピングセンター

金融関係:
大連には中国の5大銀行(中国銀行・中国建設銀行・中国工商銀行・中国農業銀行・中国交通銀行)や中国招商銀行・中国光大銀行、中国民生銀行、中国中信銀行などの支店(支行・分行)がある。2007年に大連市商業銀行は大連銀行と改名され、公共交通機関用の明珠ICカードの販売など市と密接した業務なども扱っている。外国銀行では、三菱東京UFJ銀行、みずほコーポレート銀行、山口銀行、山陰合同銀行、北洋銀行、東亜銀行(BEA)、HSBC(中国語名は匯豊銀行)、Citibank(中国語名は花旗銀行)、スタンダードチャータード銀行(中国語名は渣打銀行)、南洋商業銀行(NCB)などの支店もある。日本の損保ジャパン(中国語名は日本財産保険)の中国本部も大連にある。大連商品交易所は中国で唯一の商品先物市場で、大豆などの穀物から他の商品へ拡大中であり、金融業界のオペレーションを集めて、星海広場の北側に大連金融街の建設が始まっている。
情報産業:
大連市は1990年代からIT産業育成に力を入れており、西郊の大連高新技術産業園区(高新園区)と 大連ソフトウェアパーク(大連軟件園)に中国のIT企業の開発拠点があるだけでなく、世界のソフトウェア開発・情報サービス(データ入力・コールセンター・業務引き受けなど)関係の企業、NEC、パナソニック、ソニー、CSK、アルパイン、オムロン、トライアル、デル、HP、IBM、NHST(NHNの子会社)、SAP AG、オラクル、Genpact、MPG、東軟グループ、華信グループ、海輝グループなどが進出している。
大連の産業展示・見本市:
星海広場にある大連現代博物館には、大連の代表的企業の展示がある。また、中国国際ソフトウェア・情報サービス交易会(6月)、大連国際ビール祭り(8月)、大連国際オートショー(8月)、大連国際ファッション祭り(9月)などが開催される。
毎年1月にスイス・ダボスで開かれる世界経済フォーラム(別名、ダボス会議)の新興国・新興企業版「夏季ダボス会議 Summer Davos」(中国語で、夏季達沃斯)の第1回会議が、大連で2007年9月6~8日に開催された。2008年の第2回は天津市で行われたが、2009年の第3回は9月10~12日に再び大連で開催された。
また2009年11月1~3日には、言論エヌピーオーが主催の第5回東京・北京フォーラムが開催された。過去4回は北京、東京という日中の首都都市で行われた会議であるが、初めて首都以外での同会議開催となった。
[生活と文化]
新聞:
大連発行の新聞には、大連日報、半島晨報、大連晩報、新商報といういずれも朝刊紙がある。2008年7月28日から日売り価格が0.5元からそれぞれ1元に値上げされた。
日本語フリーペーパー:
毎月1日頃を中心に、ホテル・日本食レストランなどで、無料で入手できる。 「Concierge大連」、「Whenever大連」、「Eyes大連」、「大連チャンネル」、「iD」、「LOOK大連」、「ビプレ」、「大連散歩」などである。
主なイベント :
大連市を挙げての年中行事は、花火大会(大連春節煙火晩会、旧暦1月2日・旧暦1月15日、星海広場)、大連国際マラソン大会(大連国際馬拉松大賽、4月、全日空協賛、星海広場をスタートして市内道路を通過して大連市人民体育場がゴール)、大連国際ウォーキング大会(大連国際徒歩大賽、5月、日本航空協賛、星海広場から濱海南路へ)、アカシア祭り(大連国際槐花節、5月、市内各地)、中国国際ソフトウェア・情報サービス交易会 CISIS(6月、大連世界博覧広場/会展中心二期)、大連国際ビール祭り(大連国際啤酒節、7月下旬~8月上旬、星海広場)、大連国際オートショー(8月、大連世界博覧広場周辺)、大連国際ファッション祭り(大連国際服装節、9月、市内中心部ホテル)などが行なわれている。
[交通]
大連駅(2007年9月)(立志堂)
大連駅(2007年9月)(立志堂)

大連火車站(大連駅) :
瀋陽、長春などに向かう旅客列車の起点である。南口にある駅舎は、日本の統治時代の1937年(昭和12年)に建てられたもので、上野駅と似ている。設計は南満州鉄道の太田宗太郎で、2階が出発、1階が到着と空港のようなつくりになっている。2000年代に設けられた北口には、開発区へ行く軽軌の駅と凱旋広場がある。
大連周水子国際空港 :
もと二戦中の日本海軍飛行場で、周水子にあるので大連周水子国際空港と呼ばれる。市街地の北西に位置し、大連中心部からは車で20分ほどの距離。中国人民解放軍軍用機も駐機、離着陸している。
大連港(2009年6月)(立志堂)
大連港(2009年6月)(立志堂)

大連港:
日本統治時代からアジア有数の港で、不凍港である。4つの埠頭があり、このうちひとつをロシアが、3つを日本が建設した。満鉄の線路が残る。偽満州国時代は日本から満州への移住者達の玄関口として栄えた。また第二次世界大戦後、日本人大陸引揚者の多くがこの港から舞鶴へ帰国した。隣に新港も作られ、また北郊外(開発区)の大孤山半島に鉱石・石油を扱う新港も作られた。
有軌電車(大連駅前)(陳炬燵)
有軌電車(大連駅前)(陳炬燵)

有軌電車(路面電車):
日本統治時代に南満州鉄道電気作業所(のちの南満洲電気→大連都市交通)によって建設された区間の多くは廃止になったが、2000年代に入り、設備の大規模な更新および郊外への路線延長が実施された。2007年12月29日までは、大連火車站⇔海之韻公園間の203路があったが、興工街⇔大連火車站の元々の201路と統合され、現在は201,202路の2系統が走っている。 運賃は全区間一律1元、明珠ICカード使用で0.90元。学生カードに関しては0.40元。
その他:
快速公共交通バス (BRT) 、無軌電車(トロリーバス)、軽軌(快軌、通勤列車) なども利用可能です。
[観光地]
老虎灘極地海洋動物館
老虎灘極地海洋動物館

中山広場、友好広場:
大連を代表するロータリー(広場)。中山広場を囲んで旧大連ヤマトホテル(大連賓館)、旧大連市役所(中国工商銀行)、旧横浜正金銀行(中国銀行)、旧大連民政署(遼寧省対外貿易経済合作庁)など日本統治下で建てられた建築物が8棟残されている。これらは「大連中山広場近代建築群」として全国重点文物保護単位(国家級の文化遺産)に登録されている。中山広場の西隣りにある友好広場は日本統治時代は西広場と呼ばれた。現在は2つの老舗の映画館があり、にぎわっている。この外にも市内にはたくさんのロータリー式交差点があるが、これはもともとロシアがパリなどを模してロータリーと放射状の街路を持つ都市として設計し、戦後も市政府がロータリーを多く作ったからである。
勝利広場、青泥窪橋:
大連駅南側の一帯で一大ショッピングゾーンとなっている。勝利広場は2つの円形ビルの間にあるローマ式広場で、台湾と大連市の合資でつくられた。巨大な地下街が形成されている。その南側、中山路のバス停あたりを青泥窪橋と呼び、百貨店街が続く。香港合資で建てられた「百年商城」は高級店である。また、戦前の大連三越百貨店は秋林女店(大商女性専門店)になっている。
平日でも買い物客でにぎわい、週末にはファッションショーやバンド演奏なども行われる。
その他:
西安路(ショッピングスポット) 、天津街(ショッピングスポット) 、人民広場 労働公園、大連テレビ塔、旧ロシア人街、旧日本人街、棒棰島(バンチュイダオ)、老虎灘、星海広場、夏家河子海水浴場、大黒石海水浴場金龍寺森林公園なども人気があります。

遼寧省旅行写真はこちら:中国旅行写真館-遼寧省旅行写真

「編集:中国情報所 情報元: ウィキペディア(ja.wikipedia.org)」

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