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経済 成長率 市場経済 経済特区 経済改革 過熱 南巡講話 農業 経済格差 国有企業
中華人民共和国の経済は、急激な成長により2007年にはドル換算名目GDPではドイツを抜いて世界3位に浮上している。そして、2009年第2四半期(4~6月)の国内総生産(GDP)成長率が7.9%となり、政府目標の「8%前後」達成が視野に入った中国、2009年で、マイナス成長を見込む日本を尻目に、GDPで米国に次ぐ「世界第2位の経済大国」の地位を射止めることがほぼ確実となった。「巨大市場」を武器に成長の軸足を「内需」に移す経済政策が奏功した。
2008年の名目GDPは4.3274兆USドルと大きいが一人当たり名目GDPに換算すると3266.8USドルとなり、世界水準ではまだ低い。しかし、中華人民共和国の経済は急速に成長を続けている。2005年、中国のGDPの70%は民間部門が占めており、公有部門は公益事業、重化学工業、資源・エネルギーといった約200の大規模な国有企業によって支配されている。
2005年におけるGDP比較
2005年におけるGDP比較

香港紙「文匯報」の報道によると、余斌部長は第6回中国経済成長・経済安全戦略フォーラムに出席した際、次のように指摘した。投資の継続的な急成長、消費の実際の増加幅が過去最高を更新したこと、輸出商品の国際市場に占めるシェアの安定的上昇、工業生産額の緩やかな回復といった4つの要因が支えとなって、中国経済は明らかに回復に向かい、2009年第4四半期のGDP成長率は10%かそれ以上の高い水準に達することが予想される。通年の経済成長率は8%という当初の目標をやや上回り、8.5%前後を維持する見込みで、2010年第1四半期(1-3月)にはさらに上昇する可能性もある。
[昔の経済]
1978年12月の第11期三中全会で改革開放路線を採用して以降、中国政府は計画経済から市場指向型の経済への改革を続けてきている。この経済体制は「中国の特色を持った社会主義市場経済(en/zh)」と呼ばれており、中華人民共和国の経済体制は資本主義と社会主義の混合経済である。1978年来の経済改革の結果、数億の中国人民が貧困線から脱出することに成功した。1981年には人口の53%が貧困線以下だったが、2001年には8%にまでに減少した。 中国政府は農業をかつての人民公社から生産責任制に変更し、産業における地方政府の権限を増やし、サービス業や軽工業における様々な小規模企業(郷鎮企業)を許可し、外国との貿易や投資を増やす為に経済を開放した。政府は個人の収入及び消費の増加や、生産性向上を助ける為の新しい管理制度の導入を強調した。中国政府の統計の正確さに対して議論する点は残っているが、中華人民共和国の経済は1978年の10倍にまで成長した。
1984年、4つの経済特区(北から廈門、汕頭、深圳、珠海)と14の対外開放都市(大連、秦皇島、天津、煙台、青島、連雲港、南通、上海、寧波、温州、福州、広州、湛江、北海)を設置し、外資を呼び込んだ(その後、海南省が経済特区に指定された)。1980年代の間、経済改革により農業及び工業生産高が毎年約10%で成長した。農村の実質所得は2倍になった。とりわけ香港周辺の沿岸部である広東省や台湾の対岸にある福建省では、外国資本が国内向け及び輸出向けの製品の生産増加に拍車がかかり、工業生産高が飛躍的に伸びた。
小麦の生産量(1961年~2004年)縦軸の単位はトン
小麦の生産量(1961年~2004年)縦軸の単位はトン

中国は穀物を自給できるようになった。農村工業は農業の生産高の23%を占め、農村における過剰労働力の吸収に役立った。様々な軽工業の品々や消費財が増加した。経済改革は、財政面、金融面、物価の安定、労働市場の面で始まった。経済成長の暗黒面として、中国は社会主義の最悪の結果(官僚主義、汚職、財産権の侵害)と資本主義の最悪の結果(貧富の格差、急激なインフレ)に直面することになった。中国政府は定期的に中央集権による引き締めと緩和の政策を行った。1988年の終わりには、価格改革の急速な進展によってもたらされたインフレへの対応として、緊縮財政を実行した。
[1990年代から現在]
1990年代初期に、中国経済は回復した。1992年春節の時期に鄧小平は、中国の南方を訪問した(南巡講話)。1992年末の第14回中国共産党全国代表大会で鄧小平は中国政府の責務は1990年代に「社会主義市場経済」を構築することだと述べ、市場改革を改めて推進した。南巡講話は1990年代の10年間の経済発展計画のお墨付きとして、政治体制は中国共産党の支配の継続及び経済体制の大幅な変革が推進された。
1993年、経済成長とインフレが加速した。中国国外からの投資が浸透し、外資の進出が容易になったことにより経済は拡大した。中国政府は市場指向型の経済制度を構築するのに一層役立てること、また、金融システムを中央でコントロールすることを強化することを狙い、長期間の改革を承認した。社会主義市場経済の名の下に国有企業が主要産業を支配することを継続した。中国政府は投機的な融資に対し回収に動き、利子率を上げ投資計画の見直しを行った。結果、インフレ率は1995年の17%から、1996年はじめには8%にまで落ち着いた。1990年代後半にはアジア通貨危機の影響により経済成長は鈍化したが、21世紀には経済成長が加速した。
深圳証券取引所[写真:AxelGaodd]
深圳証券取引所[写真:AxelGaodd]

2005年12月、中華人民共和国国家統計局は、2004年の中国の名目GDPを16.8%上方修正した2兆3363億元(2819億ドル)であり、イタリアを追い抜き世界第6位の経済規模であると発表した。2006年初め、中国政府はUSドル為替換算レートで計算しなおした場合、第4位であり、イギリス、フランスを追い抜いたと発表した。2007年初め、購買力平価ベースでは中国の経済規模は世界2位の約10兆ドルに達した。但し、購買力平価による計算はかなりラフなものであり、中国のような巨大な国家では上海や四川省の間では購買力平価にかなりの開きがある点は留意する必要がある。
[広がる経済格差]
1995年から1999年の間、中央銀行による金融引き締めならびに食糧価格の上昇を防いだことを反映し、インフレは収束した。同時に中国政府は(a)省、企業、個人から歳入を増やすこと、(b)腐敗及び経済犯罪の減少を減らすこと、(c)経済成長しているにもかかわらず、経営改革が進まないことにより労働者に十分に賃金や年金が払えず倒産しかねない多くの大規模の国有企業を破綻させないことに努めてきた。
改革開放以降、農業生産額が増加し、農家所得も徐々に向上してはいるが、沿海都市での急速な工業発展や住民の所得増加には追いつけず、都市と農村の格差は拡大している。沿岸部(東)と内陸部(西)間の経済格差--例えば2005年において上海と貴州省の1人あたり収入は表を見ても分かるように約10倍と拡大している--、農村‐都市間の経済格差--2005年には都市住民の一人当たり賃金は10,493元なのに対し、農村の一人当たり純収入は3,255元に過ぎず、その格差は都市:農村=3.22:1となっている。経済格差のため、農村から都市部へ多くの労働者が豊かさを求め出稼ぎし、低賃金の日雇いの仕事に従事している。農村から都市への人口移動は合法的に、あるいは水面下で続き、農村は労働力の確保に苦慮している。
地域間経済格差を是正する為、西部大開発が実施されている。また、中国政府は農業保護に重点を置き始め、2006年からは農業税の全廃を実施した。これは春秋時代の魯以来、中国の農民に課されてきた地税が約2600年ぶりに撤廃された歴史的決定で、中国は封建体制から毛沢東主義まで前提となっていた農業中心社会から改革開放政策による商工業中心の社会へと移行した事を象徴する出来事になった。
[過熱する中国経済]
中国経済の他の重要な課題は、過去10年の急速な経済成長による経済の過熱とインフレが世界経済に影響を与える恐れがあるということである。中国政府は、インフラが整備されていないため、経済の舵取りがあまり上手くいっていない為、ある特定の地域が経済が過熱気味であることを認めているが、全体的には経済は過熱しているということは否定している。
課税もまた、ある特定部門や特定産業に対し減税をしている中国経済を安定させるための課題である。特定部門や特定産業への減税政策の主な狙いは、都市-農村間の投資の格差を減らし、国有企業が外資との競争に勝つように促す為のものである。一方、急速な経済成長は環境問題を引き起こしている。

「編集:中国情報所 情報元: ウィキペディア(ja.wikipedia.org)」

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