ログイン
ユーザ名:

パスワード:



パスワード紛失

新規登録

早稲田大学発!革新的学習システム 【超速中国語】 まずは → 無料体験すぐ出来ます:

トップ  >  基本情報  >  中国の歴史
歴史 北京原人 黄河文明 長江文明 孫文 毛沢東 鄧小平
中国に現れた最初期の人類としては、元謀原人や藍田原人、そして北京原人が知られている。
[文明の萌芽]
中国大陸では、古くから文明が発達した。中国文明と呼ばれるものは、大きく分けて黄河文明と長江文明の2つがある。黄河文明は、畑作が中心、長江文明は稲作が中心であった。黄河文明が、歴史時代の殷(商)や周などにつながっていき、中国大陸の歴史の中軸となった。長江文明は次第に、中央集権国家を創出した黄河文明に同化吸収されていった。
[秦の始皇帝]
紀元前221年に、秦の始皇帝贏政は250年余りも続いた諸侯が天下を争う局面にピリオドを打ち、中国史上最初の統一した中央集権の多民族封建国家―─秦を打ち立てた。秦の始皇帝は文字、度量衡、貨幣を統一し、郡県制度をつくり上げた。そうした封建国家の骨組みはその後2000余年にわたってずっと踏襲されてきた。秦の始皇帝は10数年の間に30万余りの人びとをかり立てて中国北部で延々と約5000キロも続く万里の長城を築造させ、そしてまたその生前において大規模な御陵の築造を始めた。1974年に発見された秦の始皇帝陵を守るための秦の始皇帝兵馬俑は世人を驚かせ、8000体の実物の人間のような陶俑、陶馬と陶製の兵車は迫真感があり、「世界の8番目の奇跡」といわれている。
[中華人民共和国成立以前]
孫 文(初代中華民国臨時大総統)
孫 文(初代中華民国臨時大総統)

3000年以上に亘り、幾つもの王朝の興亡を経てきた(秦、漢、隋、唐、宋、金、元、明)。漢族の王朝・明が1644年に滅亡し、満州人の王朝・清が最後の王朝として中原王朝の座を掌握した。だが、阿片戦争(1840年 - 1842年)で清朝がイギリスに敗れると植民地化が始まり、日清戦争で日本に敗れたことにより列強による植民地化が進行する。これを契機に、「滅満興漢」をスローガンとした、満州人の支配に対する漢族の革命運動が各地で起こり、その結果、1911年の辛亥革命を契機として翌1912年に中華民国が成立(直後に清朝は消滅)した。なお、中華民国は東アジア初の共和国である、この時の臨時大総統は孫文(そんぶん)です。孫文は、清末民初の政治家、革命家。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」と呼ばれる。字は逸仙、載之、号は中山(Zhōngshān)。中国では孫文よりも「孫中山(スン・ヂョンシャン)」の名称が一般的であり、尊敬の念をこめて「孫中山先生」と呼ばれている。
1913年10月袁は正式な大総統となり、さらに11月には国民党を非合法化し、解散を命じた。1914年1月には国会を廃止、5月1日には立法府の権限を弱め大総統の権力を大幅に強化した中華民国約法を公布した。袁世凱により国民党が非合法化されたのち、孫文は1914年7月に中国革命党を東京で結成した。1919年には拠点を上海に移し、中国国民党と改称した。1921年には上海で中国共産党が成立した。これらの政党は1918年のロシア革命の影響を受けており、議会政党というよりも明確な計画性と組織性を備えた革命政党を目指した。1928年6月南京政府の国民革命軍は北京の中華民国政府を打倒し、12月に張学良もこれを承認したことから、国民政府によって中国は再び統一された。
しかし、その後も日本やイギリス、フランスやドイツなどの列強による中国大陸の局地的な支配が続いた他、軍閥による群雄割拠が続いた上に、統一国家の体をなさない混乱状態がしばらく続いた。また、その後は非漢族居住地たるモンゴル・チベットなどの支配も目論んだが、活発な独立運動が行われた。その後、1930年代の偽満州国の樹立や、その後に発生した日中戦争において中国大陸の多くの部分が日本によって統治されたものの、1945年の第二次世界大戦における日本の敗北によって日本が中国大陸から撤退し、中華民国が連合国(戦勝国)の一国として中国大陸を改めて完全統治する体制が整った。
その後、1930年代から日中戦争をはさんで断続的に行なわれていた国共内戦において、中国共産党率いる中国人民解放軍が、アメリカから援助を受けていた中国国民党率いる中華民国国軍に対して勝利をおさめ、1949年に共産主義政党による中華人民共和国を樹立、翌年までに台湾および福建省の一部島嶼を除く国民党の統治国土を制圧した。なお、その後国民党政府は台湾島に遷都し、その後台湾島とこれらの島嶼地域は現在台湾政府の統治下にある。
[中華人民共和国成立後]
中華人民共和国は、国家指導者の指導理論や政策などによって、毛沢東時代(1949年 - 1978年)と鄧小平時代(1978年 - 1997年)の2つの時代に分類することができる。
毛沢東(1946年)
毛沢東(1946年)

鄧小平(1979年)
鄧小平(1979年)

毛沢東(もう たくとう)時代の中華人民共和国は、社会の共産主義化を推進した。毛沢東の指導のもとで大躍進政策を行なったが、多くの餓死者を出して政策は失敗に終わった。その後、経済の立て直しを巡る対立から毛沢東が文化大革命(文革)を発動し、「反革命」派とされた人々の多くがつるし上げや殺害を受け、国内は内乱状態となった。文革は、毛沢東の亡くなると共に終結した。その後、華国鋒が毛沢東の後を継いだが、1978年12月第11期三中全会で鄧小平が実権を掌握した。
鄧小平(とう しょうへい)時代の中華人民共和国は、政治体制は中国共産党による一党体制を堅持しつつも、市場経済導入などの経済開放政策を取り、中華人民共和国の近代化を進めた。その結果、経済の改革開放が進み、「世界の工場」と呼ばれるほど経済が急成長した。一方、急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題となっている。ソ連が崩壊したのは、その2年後の1991年である。国家の維持と繁栄という視点からすれば、鄧小平の選択はゴルバチョフを凌駕したといえる。その後、経済の開放を強力に推し進めた結果、国民の生活水準は大きく飛躍した。
中華人民共和国の現在(2009年)の最高指導者である胡 錦濤(こ きんとう)は江沢民(こう たくみん)の後任として、2002年に第4代中国共産党中央委員会総書記、2003年に第6代中華人民共和国主席、2004年には第5代中国共産党中央軍事委員会主席に就任。胡錦濤の統治によって、中国では穏健な政治改革と、過熱する経済成長を統制する政策が推進されている。

[中国歴史年代略表]
[番号] [王朝] [紀元]
01 BC 2070年―BC 1600年
02 BC 1600年―BC 1046年
03 西周 BC 1046年―BC 771年
04 東周(春秋) BC770年~BC 476年
05 東周(戦国) BC 475年~BC 221年
06 BC 221年~BC 206年
07 前漢 BC 206年~公元25年
08 後漢 25年~220年
09 三国(魏、蜀、呉) 220年~280年
10 西晋 265年~317年
11 東晋 317年~420年
12 南北朝 420年~589年
13 581年~618年
14 618年~907年
15 五代 907年~960年
16 北宋 960年~1127年
17 南宋 1127年~1279年
18 1271年~1368年
19 1368年~1644年
20 1644年~1911年
21 中華民国 1912年~1949年
22 中華人民共和国 1949年~現在

「編集:中国情報所 情報元: ウィキペディア(ja.wikipedia.org)」

プリンタ用画面
友達に伝える
投票数:92 平均点:6.63
前
中国の気候
カテゴリートップ
基本情報
次
中国の経済

コメント一覧


Copyright© 2009-2015 Chinfor Studio. 株式会社東京エス・ティ・エス All Rights Reserved. 利用規約. 日本語ドメイン:中国情報所.com